歴史探訪 日本の城
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新発田城の説明と写真
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長篠城の説明と写真
県庁所在地:新潟県新光町4-1
面積:12,583平方q 人口:2,383千人(H17年)
県花:チューリップ 県木:ユキツバキ
名称:新発田城[通称:菖蒲城、舟形城]
城郭構造:平城
天守構造:御三階櫓複合式層塔型3重3階
築城主:新発田氏
築造年:不明
遺構:櫓、長屋・門、石垣、土塁、堀
指定文化財:国の重要文化財
再建造物:三階櫓、辰巳櫓
所在地:新潟県新発田市大手町6
アクセス:JR羽越本線「新発田」駅から徒歩約20分
新発田城表門 旧二の丸隅櫓 辰巳櫓 辰巳櫓内部
新発田城(日本100名城31)
新発田城は、新発田重家により築城され、新発田氏が居城とした。
新発田長敦は謙信と景勝に仕え、「御館の乱」では弟重家とともに活躍した。長敦の跡を継いだ重家は景勝の恩賞に不満を覚え、叛乱を起こしている。
1587年(天正15年)、秀吉の援を受けた景勝は、10月25日、重家を攻めた。支えきれず重家は自害して落城した。
1598年(慶長3年)に溝口秀勝が6万石で入封した際に、近世の城郭として改修された。
名称:春日山城[通称:蜂ヶ峰城]
城郭構造:連郭式山城
天守構造:建造されず
築城主:上杉氏
築造年:南北朝時代年(年)
遺構:土塁、空堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:毘沙門堂
所在地:新潟県上越市中屋敷春日山
アクセス:JR信越本線「春日山」駅から徒歩約90分
毘沙門堂 直江屋敷跡 上杉謙信公銅像 林泉寺山門
春日山城(日本100名城32)
春日山城は、上杉謙信の居城として有名。
南北朝時代に、越後守護である上杉氏が築城したとされ、1507年(永正4年)、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して府中に入らせ、長尾氏がその支城である春日山城に入った。
以後、為景、晴景、上杉謙信、上杉景勝四代の居城となるが、上杉景勝が会津へ移封され、越後には堀秀治が入り、春日山城主となるが、政務を執るのに山城は不便として破城し、直江津港近くに建てた福島城へ移った。同時に春日山城は廃城となった。
県庁所在地:富山市新総曲輪1-7
面積:4,247平方q 人口:1,095千人(H17年)
県花:チューリップ 県木:立山杉
名称:高岡城
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:不明
築城主:前田利長
築造年:1609年(慶長14年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:富山県史跡
所在地:富山県高岡市古城
アクセス:JR北陸本線「高岡」駅から徒歩約10分
南外堀にかかる駐春橋 内堀と緑翠亭 前田利長公銅像 高岡大仏
高岡城(日本100名城33)
高岡城は1609年(慶長14年)、前田利長によって築城された。利長は当初富山城を隠居城としていたが火災により焼失し新たに領地である加賀、能登、越中の中心地である高岡に城を移すことになる。高岡城を築くにあったては前田家の客将だった高山右近が関わったと伝えられ、現場では神尾之直らがその任にあたったといわれている。
高岡城は平城で本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の5つ郭で構成され、それぞれが広く深い堀と高い土塁によって囲まれている。1614年(慶長19年)に利長が死去し、1615年(元和元年)に一国一城令が発令されると高岡城は廃城となり主要な建物は破棄されるが、加賀藩における当地方の軍事的、行政的な重要性は変わらず旧城内には米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが設置され土塁や堀などの城塞的な機能が保持されたままだった。明治時代以降は高岡公園として整備された。 
名称:富山城
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:不明 模擬天守複合連結式望楼
     型3重4階(天守)2重2階(小天守)
築城主:神保長職
築造年:1543年(天文12年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
所在地:富山県富山市丸ノ内
アクセス:JR富山駅から徒歩10分
石壁と模擬天守
内部は富山資料博物館
櫓を模した佐藤記念
美術館
置き薬の祖富山2代藩主
前田正甫公銅像
堀にかかる景雲橋
富山城(番外)
戦国時代は佐々成政の居城であり江戸時代は富山前田家の居城として富山藩政の中心であった。
現在はこの城跡が「富山城址公園」として整備され市民の憩いの場となっている。
県庁所在地:金沢市広坂2-1-1
面積:4,185平方q 人口:1,166千人(H17年)
県花:クロユリ 県木:あて
名称:七尾城[通称:松尾城、末尾城]
城郭構造:連郭式山城
天守構造:なし
築城主:畠山満慶
築造年:1428-29年(正長年間)
遺構:郭、石垣、土塁、空堀
指定文化財:国の史跡
所在地:石川県七尾市古屋敷町夕部8-1
アクセス:JR七尾線「七尾」駅から市内巡回バス「まりん号」東周りで約13分「城山の里」下車、本丸まで徒歩約60分
城址に多く残る石垣群 本丸へ続く階段 七尾城址碑 展望台から見る七尾湾
七尾城(日本100名城34)
七尾城は、能登守護の畠山満則によって築城された。城は標高360mの松尾山に造られており、その縄張りは2q四方に及ぶ大山城である。
山頂から本丸、二の丸、三の丸と続くが、この城の特徴として、それらと一緒に温井屋敷や遊佐屋敷など豪族館が配置されていたことである。七尾城は、1577年(天正5年)、上杉謙信によって攻め込まれた。その時、当主の畠山義隆が病死し、畠山の旧臣たちは謙信の軍門に降った。 
1581年(天正9年)に前田利家が信長から能登一国を与えられ入城したが、翌年に小丸山城を築いて移ったので、廃城となった。
名称:金沢城[通称:尾山城、金城]
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:御三階櫓
築城主:佐久間盛政
築造年:1580年(天正8年)
遺構:長屋門、石垣、土塁、堀、移築能舞台
指定文化財:国の重要文化財(石川門、三十間長屋)
再建造物:菱櫓、橋詰門、五十間長屋
所在地:石川県金沢市丸ノ内
アクセス:JR北陸本線「金沢」駅から北鉄バスで約15分「兼六園下」下車、徒歩約5分
内堀と橋爪門続櫓 二の丸から見る菱櫓 石川門 鶴丸倉庫
金沢城(日本100名城35)
1582年(天正10年)本能寺の変で織田信長が没し、その後の覇権をかけた柴田勝家と羽柴秀吉の争いは翌年賎ヶ岳の戦いで秀吉が勝利した。
この戦いで秀吉に与した前田利家が石川・河北の加賀ニ郡を与えられ、能登七尾小丸山城から尾山城に入った。 利家は、尾山城を金沢城と改め、大がかりな整備に取りかかり、天守閣の創建や、本丸周辺の石垣整備、大手口の付け替えなど、いずれも城の根幹に関わることであり、信長時代からの技術を受け継いだ職人集団が、金沢でもその技を発揮したのではと考えられている。 キリシタン大名としてよく知られ、茶人、また築城の名手として知られた高山右近が、秀吉に追放された後、金沢に招かれており、右近が整備の指揮を執ったとも伝えられてる。
県庁所在地:福井市大手3-17-1
面積:4,189平方q 人口:808千人(H17年)
県花:水仙 県木:松
名称:丸岡城(別名霞が城)
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:独立式望楼型2重3階(木造現存)
築城主:柴田勝豊
築造年:1576年(天正4年)
遺構:現存天守、移築門、石垣
指定文化財:重要文化財(天守)
所在地:福井県坂井市丸岡町1-59
アクセス:JR北陸本線「福井」駅から京福バス
「本丸岡行き」で約40分「丸岡城」下車すぐ
雲井の竜神社 福井大地震で落ちた
石の鯱
天守閣の内部 伝説「人柱お静」の
慰霊碑
丸岡城(日本100名城36)
 丸岡城は、柴田勝豊(勝家の甥)が1576年(天正4年)、北ノ庄城(福井)の支城として、築城した城で(別名霞ヶ城)、屋根が珍しい石瓦でふかれている。現存する天守は、日本最古を誇っており、城郭建築史上重要な遺構とされており、国の重要文化財に指定されている。
名称:一乗谷城
城郭構造:山城
天守構造:なし
築城主:朝倉氏
築造年:1471年(文明3年)
遺構:土塁、堀、門
指定文化財:遺跡(特別史跡)、庭園(特別名勝)
所在地:福井県福井市城戸ノ内町
アクセス:JR越美北線「一乗谷」駅から徒歩約30分又はJR北陸本線「福井」駅から京福バス東郷線で約30分「武家屋敷前」下車すぐ
発掘された街並み 復元武家屋敷 朝倉館発掘と平面展示 武家屋敷内部風景
一乗谷城(日本100名城37)
一乗谷城は、越前守護・朝倉氏初代孝景が1471年(文明3年)に築き、5代義景まで103年続いた城。東西を連山に挟まれた、南北に細長い一乗の谷を利用した縄張りである。1574年(天正元年)義景は織田信長との戦いに敗れ、5代続いた一乗谷朝倉氏は滅亡、一乗谷の町は戦火によって焼土と化した。
これにより400年以上もの間、館、城下町もそっくり埋もれて残されたという貴重な遺構。昭和42年から発掘調査が進められ、現在は、平面復元以外に町並復元も行われ、当時の武家屋敷、町屋が再現され、当時の様子を知ることができる。
県庁所在地:甲府市丸の内1-6-1
面積:4,465平方q 人口:869千人(H17年)
県花:フジザクラ 県木:カエデ
名称:武田氏館[通称:躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)]
城郭構造:連郭式平城
天守構造:不明
築城主:武田信虎
築造年:1519年(永正16年)
遺構:石垣、土塁、堀
指定文化財:国の史跡
所在地:山梨県甲府市古府中町2611
アクセス:JR中央線「甲府」駅北口北へ一本道2.2` バス8分「武田神社」下車、徒歩すぐ。
武田神社本殿 風林火山の幟はためく
参道
能舞台 武田水琴窟
武田氏館(日本100名城24)
別名「躑躅が崎館」(つつじがさきやかた)と呼ばれる武田氏館は、1519年(永正16年)に武田信虎によって築かれた方形の館である。信虎が最初に築いた館は、堀一重の主城郭のみであったと考えられているが、武田氏の勢力拡大とともに施設も増え、東日本でも最大の規模を誇る戦国期居館となったといわれている。
名称:甲府城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明
築城主:徳川家康
築造年:1583年(天正11年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:山梨県史跡
所在地:山梨県甲府市丸の内1-5-4
アクセス:JR甲府駅から徒歩5分
城外の遊亀橋から
本丸石垣を望む
稲荷曲輪門 鍛冶曲輪外の水掘 武徳殿
甲府城(日本100名城25)
甲府城は甲斐の国の唯一の本格的城郭。鶴が羽根を広げた姿に似ていることから「舞鶴城」と呼ばれるようになったといわれている。
甲斐の国といえば戦国時代の武田家だが、甲府城は武田家が造った城ではなく豊臣秀吉の天下統一により関東に移封となった徳川家康対策として甥の羽柴秀勝らにより築城された城である。
県庁所在地:長野市大字南長野字幅下692-2
面積:13,562平方q 人口:2,160千人(H17年)
県花:りんどう 県木:しらかば
名称:松代城[海津城・貝津城]
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:不明
築城主:武田信玄
築造年:1560年(永禄3年)
遺構:石垣、土塁、堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:太鼓門、堀、石垣、土塁
所在地:長野県長野市松代町松代44
アクセス:長野電鉄「松代」駅から徒歩5分
枡形高麗門 辛亥隅櫓跡 本丸跡の石垣 北不明門
松代城(日本100名城26)
松代城は1560年(永禄3年)に武田信玄の命により、軍師の山本勘助が築城した。当初は、「海津城(貝津城)」と呼ばれていた。この城は、武田氏にとって北信濃支配の要の城であった。
戦国時代に甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄と越後国(現在に新潟県)の戦国大名である上杉謙信との間で北信濃の支配権をめぐって約12年間争った「川中島の合戦」の舞台となったことでも有名である。 
名称:上田城[尼ヶ渕城・真田城]
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:不明
築城主:真田昌幸
築造年:1583年(天正11年)
遺構:櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財:国の史跡、長野県宝(南,北,西の櫓)
再建造物:門
所在地:長野県上田市二の丸
アクセス:長野新幹線上田駅から徒歩約10分
本丸跡にある真田神社 尼ヶ淵から見る南櫓 東虎口脇の真田石 二の丸と本丸を隔てる堀
上田城(日本100名城27)
 上田城は、1583年(天正11年)真田昌幸が築城したもので、千曲川の分流である尼ヶ淵の切り立つ断崖上にあったので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。
上田城は、城の立地の優位性を生かし二度にわたる徳川軍の攻撃を守り抜いた名城として有名である。
特に2度目の攻撃は1600年(慶長5年)関ヶ原合戦の前で西方の決戦場に向かう徳川秀忠率いる3万8千の兵を僅か2千5百の兵で籠城戦におよび徳川軍は城を落とすことができず、結果徳川の主力である秀忠軍は関ヶ原の決戦に間に合わなかったといわれている。
名称:小諸城[酔月城・穴城・白鶴城・鍋蓋城]
城郭構造:平山城
天守構造:不明
築城主:武田信玄
築造年:1554年(天文23年)
遺構:大手門、三之門、天守台、石垣、空堀
指定文化財:重要文化財(大手門、三之門)
所在地:長野県小諸市丁311
アクセス:JR小海線・しなの鉄道「小諸」駅
     から徒歩約3分
三之門 天守台石垣 二の丸跡 二之門跡
小諸城(日本100名城28)
この城は、1487年頃大井氏が築いたのに始まり、戦国時代には武田信玄がこの城を手に入れ、1543年頃本格的に改修したと言われている。武田氏滅亡後は、織田家の重臣滝川一益の所領となる。徳川家康の関東移封では、仙石氏が城主となり、城の規模を広げ近世城郭とした。江戸時代城主は度々変わるが1702年(永禄15年)牧野氏が城主となり明治維新まで10代続く。
この城の特徴は、全国的にも珍しい城下町より低い「穴城」で城地が浅間山の火山灰で出来ているため水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっている。
また、文豪島崎藤村の「千曲川旅情の歌」「小諸なる古城のほとり」でもよく知られている。
名称:松本城[深志城・烏(からす)城]
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:複合連結式層塔型5重6階
築城主:小笠原長棟
築造年:1504年(永正元年)
遺構:天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵
指定文化財:国宝(天守)、国の史跡
所在地:長野市松本市丸ノ内4-1
アクセス:JR篠ノ井線松本駅から徒歩20分
埋の橋と天守 黒門。枡形門の外側の門 太鼓門 宇宙ツツジ
松本城(日本100名城29)
文禄(1593−1594)時代に建てられた五重六階の天守閣は城の中では日本最古である。
明治の大改修後の昭和11年国宝に指定された。
姫路城、彦根城、犬山城とともに日本にわずか4つしかない国宝城郭の一つである。
名称:高遠城[兜城]
城郭構造:平山城
天守構造:なし
築城主:不明
築造年:不明
遺構:門、石垣、空堀、土塁
指定文化財:国の史跡
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠城跡
アクセス:JR飯田線「伊那」駅からJRバス関東
     高遠線で約25分
旧大手門 太鼓櫓 楼雲橋 藩校「進徳館」
高遠城(日本100名城30)
高遠城は、戦国時代には諏訪氏の一族である高遠氏が居城していたが、天文14年(1545)に甲斐の武田信玄が高遠城を攻めた。城主高遠頼継は戦いに敗れ、信玄に城を明け渡した。以降は武田氏が支配した。1582(天正10)年、武田氏滅亡後、織田氏が支配したが、本能寺の変で信長が急死すると、徳川家康が支配した。
城主は京極高次・保科正光・正之・鳥居忠春と続き、1691(元禄4)年、内藤清枚が3万3千石で入封して以後、内藤氏が8代続いて明治を迎えた。
県庁所在地:岐阜市薮田南2-1-1
面積:10,621平方q 人口:2,086千人(H17年)
県花:れんげ草 県木:イチイ
名称:岩村城[通称:霧ヶ城]
城郭構造:梯郭式山城
天守構造:なし
築城主:遠山景朝
築造年:1221年(承久3年)
遺構:石垣、曲輪、移築門
指定文化財:なし
再建造物:藩主邸、太鼓櫓、表御門
所在地:岐阜県恵那市岩村町字城山
アクセス:明知鉄道「岩村」駅から本丸まで
徒歩約40分
岩村城址 東曲輪前の六段石垣 登城道 竜神の井戸
岩村城(日本100名城38)
岩村城は別名を「霧ヶ城」といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜721mに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、備中松山城(岡山県)、大和高取城(奈良県)とともに「日本3大山城」の一つである。
岩村城の創築は鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝」の重臣加藤景廉が1185年(文治元年)に遠山荘地頭に補されたのに始まる。
戦国時代の城主遠山景任(かげとお)が病没、一時その夫人、おつやの方が城主となっている。(女性が城主になるのは歴史上珍しい)。夫人は織田信長の叔母で美女だつたといわれている。
その後、森蘭丸(長定)・長可・忠政の森氏3代の城代・各務兵庫が、18年余りをかけて城を近代城郭に改修した。
江戸時代は岩村藩藩庁となり大給松平家、丹羽家、のちに再度大給松平家と藩主が代わり幕末に至った。 
名称:岐阜城(旧稲葉山城)
城郭構造:山城
天守構造:独立式望楼型3重3階(1956年再建)
築城主:二階堂行政
築造年:1201年(建仁元年)
遺構:曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物:天守、門
所在地:岐阜県岐阜市金崋山天守閣18
アクセス:JR東海道本線岐阜駅から岐阜バスで15分、金崋山ロープウェイで3分、山頂駅から徒歩約8分
天下第一の門 信長居館跡の冠木門 岐阜城内の井戸 山麓の岐阜公園
岐阜城(日本100名城39)
 岐阜城は、鎌倉時代に、二階堂氏が稲葉山(金華山)に、建築した山城。
戦国時代には、斎藤道三が修築し、居城としていたがその後、織田信長が美濃(現在の岐阜周辺)を攻め、落城し、稲葉山城を、岐阜城と改めた。
1600年、関が原の合戦で、織田氏は西軍に属したため、廃城となるが、昭和31年に再建され、平成9年には、大改装が行われ、現在に至っている。
名称:大垣城[通称:麋城(び城)、巨鹿城(きょろく城)]
城郭構造:連郭輪郭複合式平城
天守構造:複合式層塔型3重4階
築城主:竹腰尚綱
築造年:1500年(明応9年)
遺構:石垣、曲輪
再建造物:天守、乾櫓、艮櫓
所在地:岐阜県大垣市郭町2-52
アクセス:JR東海道本線「大垣」駅南口から徒歩約7分
丑寅櫓・東門 西門 武器庫 戌亥櫓
大垣城(番外)
大垣城は美濃守護・土岐(とき)一族の宮川安定(やすさだ)により、1535年(天文4年)に創建されたといわれている。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となり壮絶な攻防戦が繰り広げられた。その後、戸田氏が10万石の城主となり入城してからは、歴代藩主と共に天下泰平の世を謳歌し明治まで続いた。
県庁所在地:静岡市追手町9-6
面積:7,780平方q 人口:3,787千人(H17年)
県花:つつじ 県木:もくせい
山中城
城郭構造:山城
天守構造:なし
築城主:北条氏康
築造年:永禄年間(1558年〜1570年)
遺構:堀、曲輪、土塁
指定文化財:国の史跡
所在地:静岡県三島市山中新田下の沢
アクセス:JR東海道線/東海道新幹線「三島」駅南口沼津登山東海バス「元箱根港行」で約30分「山中城跡」下車すぐ
西の丸 北の丸跡 西の丸と西櫓を隔てる堀 西の丸畝堀
山中城(日本100名城40)
山中城は、1558年〜1570年(永禄年間)小田原城を守る城として北条氏康により築城された。駿河湾を一望におさめ、田方平野にある韮山城までも眺められる山城だったが、1590年(天正18年)、天下統一をめざす豊臣秀吉の大軍の前に、わずか半日で落城したといわれている。1934年(昭和9年)に国の指定史跡となり、1981年(昭和56年)から城跡公園として開放されている。
名称:駿府城(府中城、静岡城)
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:不明
築城主:徳川家康
築造年:1585年(天正13年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
所在地:静岡県静岡市葵区駿府公園1-1
アクセス:JR東海道線静岡駅より徒歩10分
堀と東御門 東御門正面 北御門付近二の丸掘 三の丸掘
駿府城(日本100名城41)
室町時代に今川氏が駿府に本拠地を置いた。今川義元の時代に徳川家康が人質として駿府で過ごしたことはよく知られている。駿府は武田氏の台頭によりその支配下に置かれた。
その後、武田氏の滅亡により、徳川家康の支配地となり駿府に城が築城された。家康は関ヶ原の合戦後、1603年(慶長8年)江戸に幕府を開いたが、1605年(慶長10年)三男秀忠に将軍職を譲り、駿府に引退、自分の隠居城として駿府城の改修を行った。
名称:掛川城
城郭構造:平山城
天守構造:複合式望楼型3重4階(木造復元)
築城主:朝比奈泰煕
築造年:1469〜1487年(文明年間)
遺構:二の丸御殿、太鼓櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財:国の重要文化財(二の丸御殿)
最建造物:天守・門
所在地:静岡県掛川市掛川1138-24
アクセス:JR東海道本線「掛川」駅北口から
     徒歩約7分
天守と城門 大手門 二の丸御殿 次の間
掛川城(日本100名城42)
日本最古の木造復元天守(1995年完成)があり、また二の丸御殿も現存する。掛川城は今川氏の重臣朝比奈氏によって築かれた。今川家滅亡後は徳川家康が支配、徳川家康の関東転封に伴い山内一豊が城主となり、天守閣を建造した
名称:浜松城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明
築城主:今川貞相
築造年:1504〜1520年(永正年間)
遺構:石垣、曲輪
指定文化財:なし
再建造物:模擬天守
所在地:静岡県浜松市元城町100-2.
アクセス:JR東海道本線「浜松」駅より徒歩
     約20分
天守台の石垣 曲輪の石垣 井戸 若き日の家康公銅像
浜松城(番外)
今川氏の支配下にあったが、今川義元の敗死後は徳川家康の支配下となった。元亀元年(1570)に城を拡張し、以降駿府に移転するまで家康の居城となった。野面積みの石垣と天守閣が特徴的な城である。
県庁所在地:名古屋市中区三の丸3-1-2
面積:5,164平方q 人口:7,414千人(H17年)
県花:カキツバタ 県木:ハナノキ
名称:犬山城
城郭構造:平山城
天守構造:複合式望楼型3層4階
築城主:織田信康
築造年:1537年(天文6年)
遺構:現存天守、石垣、土塁
指定文化財:国宝(天守)
所在地:愛知県犬山市犬山字北古券65-2
アクセス:名鉄犬山線「犬山遊園」から徒歩
     約15分
国宝「犬山城」三の丸 本丸入口鉄門 本丸内から見る鉄門 本丸内の石垣
犬山城(日本100名城43)
犬山城は、天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田信康によって築城された。戦国時代なので、その後何代も城主が変わったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦のころを中心に、城郭はしだいに整備されていった。
小牧長久手の合戦(1584年)の時、豊臣秀吉は12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦った。江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正が元和元年(1617年)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたった。
昭和10年(1935)国宝に、昭和27年規則改正に伴い改めて国宝に指定された。国宝の犬山城、彦根城、姫路城、松本城の四城の中でも最も古い城郭である。
名称:名古屋城(金鯱城)
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:連結式層塔型5層5階地下1階
     (1612年築・非現存)
築城主:徳川家康
築造年:1609年(慶長14年)
遺構:櫓3棟、門3棟、庭園、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(櫓・門)
所在地:愛知県名古屋市中区本丸1-1
アクセス:名古屋地下鉄名城線市役所前
     駅から徒歩5分
表二の門 二の丸 二の丸庭園 清正公石曳の像
名古屋城(日本100名城44)
名古屋城は慶長14年(1609)関ヶ原の合戦後に江戸に幕府を開いた徳川家康が東海道の要所として、また大坂方面(現在の大阪)への備えとして、加藤清正、福島正則、前田利光ら諸大名20名に命じて造らせた城で天下普請の城とも言われている。
その後明治維新まで名古屋城は御三家筆頭の尾張徳川家の居城となった。
名称:岡崎城
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:複合連結式望楼型3重3階(非現存)
築城主:西郷稠頼・頼嗣
築造年:1452年(享徳元年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
再建造物:天守、門
所在地:愛知県岡崎市康生町561
アクセス:名鉄名古屋本線「東岡崎」駅から
     徒歩約15分
岡崎城大手門 内堀 内堀 徳川家康公銅像
岡崎城(日本100名城45)
岡崎城の起源は、15世紀前半までさかのぼる。明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがその始まりである。その後、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。
徳川家康は、天文11年(1542)12月26日、岡崎城で誕生した。家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり少年期を他国で過ごしたが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことを契機に自立した。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めた。
名称:長篠城[通称:末広城、扇城]
城郭構造:平城
天守構造:なし
築城主:菅沼元就
築造年:1508年(永正5年)
遺構:曲輪、土塁、石垣、空堀
指定文化財:国の史跡
所在地:愛知県新城市長篠字市場22-1
アクセス:JR飯田線「長篠」駅から徒歩約8分
本丸跡 本丸の土塁 土塁 城外から見た長篠城跡
長篠城(日本100名城46)
長篠城は、1508年(永正5年)に山家三方衆の一つ長篠菅沼元成が築城した。
武田信玄が奥三河へ勢力を伸ばすと、長篠菅沼氏は武田氏の傘下に入った。信玄の死後、徳川家康の反攻が始まり、城主菅沼正貞は信州へ逃れ、奥平信昌が城将となる。
1575年(天正3年)、武田勝頼が15,000の兵を率いて長篠城を包囲する。長篠の合戦である。設楽ヶ原の合戦で勝頼は、大敗北して武田氏滅亡と繋がる。
戦後、家康は奥三河の長篠・田峯・作手等の領地を奥平信昌に与えた。信昌は、1576年(天正4年)新城城を築いて移り、長篠城は廃城された。
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