歴史探訪 日本の城
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大阪城の説明と写真
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姫路城の説明と写真
竹田城の解説と写真
篠山城の説明と写真
明石城の説明と写真
赤穂城の説明と写真
高取城の説明と写真
郡山城の説明と写真
和歌山城の説明と写真
県庁所在地:津市広明町13番地
面積:5,777平方q 人口:1,862千人(H17年)
県花:ハナショウブ 県木:神宮スギ
伊賀上野城(日本100名城)の写真 名称:伊賀上野城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:層塔型3層3階
築城主:筒井定次
築造年:1585年(天正13年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:国の史跡
所在地:三重県伊賀上野市丸ノ内106
アクセス:伊賀鉄道伊賀線上野市駅から
     徒歩8分
内堀と高石垣 天守閣最上階の天井 天守閣内部
伊賀上野城(日本100名城47)
1585年、筒井定次が国替えで、伊賀の国に入国、城を築いた。これが伊賀上野城である。
1608年、定次は改易となる。伊賀、伊勢の国主として藤堂高虎が入城する。
現在、旧城一帯は国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されている。
松阪城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:連結式3重5階
築城主:蒲生氏郷
築造年:天正16年(1588年)
遺構:天守台、本丸、二の丸、石垣多数
指定文化財:国指定の史跡
再建造物:石垣修復
所在地:三重県松阪市殿町
アクセス:JR紀勢本線・近鉄大阪線「松阪」駅から徒歩約15分
表門付近の石垣 本丸の石垣と登り口 中御門跡 歴史民俗資料館
松阪城(日本100名城48)
松阪城は、豊臣政権下で12万石で伊勢国に封じられた蒲生氏郷が築城したのが起源と言われている。のち氏郷は会津へ移り、豊臣秀次家臣の服部一忠、さらに古田重勝、重治が城主となるが、古田氏が転封以降の松阪城は紀伊和歌山城主となった徳川頼宣の領地となり、伊勢の紀伊徳川領の要として、城代が置かれ明治に至った。
現在は往時の建造物は残っていないが、石垣は旧形態をよくとどめており、その美しさが高く評価されているほか、城内には本居宣長の旧居が移築されており、観光名所となっている。
県庁所在地:大津市京町4-1-1
面積:4,017平方q 人口:1,402千人(H17年)
県花:しゃくなげ 県木:もみじ
彦根城(日本100名城)の写真 名称:彦根城
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:複合式望楼型3重3階地下1階
築城主:井伊直継
築造年:1622年(元和8年)
遺構:天守,櫓,門,塀,馬屋,石垣,土塁,堀
指定文化財:国宝(天守など)、国の重要文化
      財(櫓、門、馬屋など)
所在地:滋賀県彦根市金亀町1-1
アクセス:JR彦根駅から徒歩15分
大手門橋 天秤櫓にかかる廊下橋 天秤櫓 天守閣内部
彦根城(日本100名城50)
 幕末の「安政の大獄」で、有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など時代とともに、幕府の中核となる人物を輩出した徳川家譜代の井伊氏三十五万石の居城である。
井伊氏によって築かれた彦根城は、そののち明治維新を迎え、廃藩置県まで一度の領主替えもなく井伊氏十四代が在城し続けた。
安土城跡(日本100名城)の写真 名称:安土城
城郭構造:山城
天守構造:望楼型地上6階地下1階
築城主:織田信長
築造年:1576年(天正4年)
遺構:天守台、曲輪、石垣、堀
指定文化財:国の特別史跡
所在地:滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
アクセス:JR東海道本線「安土」駅から徒歩
     約20分で登城口、登城口から天守台
     まで徒歩約25分
天守閣の基石 織田信長の本廟 羽柴秀吉の屋敷跡 安土城のあった安土山
安土城(日本100名城51)
 織田信長が築いた城で、1579年(天正7年)に天守閣が完成し岐阜城から本拠を移した。当時は城の三方は琵琶湖に囲まれ、湖に突出する山に城が築かれた形であった。1582年(天正10年)の本能寺の変の際に天守閣は焼失した。その後、信長の子・信雄らが城主となるが、天正12年(1584)に廃城となった。
観音寺城跡(日本100名城)の写真 名称:観音寺城
城郭構造:山城
天守構造:なし(屋形2階)
築城主:六角氏頼
築造年:1467〜1487年(応仁・文明年間)
遺構:本丸、二の丸、曲輪、石垣、堀、土塁
指定文化財:国の史跡
所在地:滋賀県蒲生郡安土町石寺他
アクセス:JR東海道本線「安土」駅から徒歩
     約40分で登城口、登城口から本丸跡
     まで徒歩約35分
本丸跡を示す木札 観音寺城へ続く道 食い違い虎口門跡 観音寺城のあった繖山
観音寺城(日本100名城52)
 佐々木氏、六角氏の本拠地。六角氏は近江北部の戦国大名・浅井氏と対立するなど弱体化し、1568年(永禄11年)には将軍を擁した織田信長が侵攻してくると観音寺城から退去した。城は
この時に廃城となった。
長浜城の写真 名称:長浜城
城郭構造:平城
天守構造:不明
築城主:羽柴秀吉
築造年:1573年
遺構:石垣、堀
指定文化財:なし
所在地:滋賀県長浜市公園町10-10
アクセス:JR長浜駅から徒歩5分
長浜城歴史博物館
(模擬天守)
天守から見る奥琵琶湖 長浜城普請の模型 羽柴秀吉と石田三成の
出会い三献茶の像
長浜城
 天正元年(1573)羽柴秀吉が浅井長政攻めの戦功により浅井氏の旧領を拝領した際に、当時今浜といわれていた所を長浜と改め、築城し、初めて城持ち大名となった出世城である。
現在の天守は、昭和58年(1983)犬山城や伏見城をモデルに復元されたもので市立長浜博物館となっている。
小谷城址(日本100名城)の写真 名称:小谷城
城郭構造:梯郭式山城
天守構造:なし
築城主:浅井亮政
築造年:1516年(永正13年)
遺構:曲輪、空堀、土塁
指定文化財:国の史跡
所在地:滋賀県長浜市小谷郡上町
アクセス:JR北陸本線「河毛」駅下車。徒歩約30分バスでは湖北町コミュニティバス小谷山線で約20分「小谷城址」下車。本丸までは約40分
黒金御門跡 本丸跡 大広間跡 桜番場跡
小谷城(日本100名城49)
 戦国期の城。戦国大名浅井氏3代の居城で、小谷山城ともよばれる。城は近江守護京極氏の被官である浅井亮政(すけまさ)によって初めて築かれた。
以来、久政(ひさまさ)、長政(ながまさ)と居城した。
長政は、織田信長の妹お市(いち)の方と結婚し、織田家と姻戚関係となるが、1570年(元亀元年)四月、信長が朝倉氏を討とうとした際に寝返り、朝倉方についてしまう。
その後、再三にわたり信長と攻防を繰り返すも、1572年(元亀3年)ついに朝倉氏は滅亡。そして孤立無援となった小谷城は、信長の命を受けた羽柴秀吉らの大軍に攻められ、ついに1573年(天正1年)落城した。
府庁所在地:上京区下立売新町西入ノ内町藪
面積:4,613平方q 人口:2,631千人(H17年)
府花:しだれ桜 府木:北山杉
二条城(日本100名城)の写真 名称:二条城
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:複合式層塔型5重5階(非現存)
築城主:徳川家康
築造年:1603年(慶長8年)
遺構:御殿、櫓、門、石垣、堀、庭園
指定文化財:国宝(二の丸御殿など)、国の重要
      文化財(建造物22棟など)
所在地:京都府京都市二条通堀川西入二条町
アクセス:JR京都駅から市バス二条城前下車
東大手門 本丸御殿 内堀と西橋 二の丸庭園
二条城(日本100名城53)
 二条城は、徳川家康が築城した、京都市中心部にある平城である。
歴史上、二条城は江戸時代の始まりと終わりにかかわる場所となったといわれている。初代将軍家康が二条城を築城し、幕末には最後の将軍となった第十五代徳川慶喜が二条城に諸大名を集め大政奉還を発布したのである。
府庁所在地:大阪市中央区大手前2丁目
面積:1,898平方q 人口:8,840千人(H17年)
府花:さくらそう、うめ 府木:いちょう
大阪城(日本100名城)の写真 名称:大坂城(大阪城)
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:複合式望楼型(豊臣期)
    独立式層塔型5重5階地下1階(徳川期)
築城主:豊臣秀吉
築造年:1583年(天正11年)
遺構:櫓、門、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(櫓、門など)
所在地:大阪市中央区大阪城1-1
アクセス:JR大阪環状線大阪城公園駅
大手門多門櫓 千貫櫓と多門櫓 南外堀と六番櫓 天守からの眺望
大阪城(日本100名城54)
 大阪城は、豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の居城となり、豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。
徳川政権は、近畿地方および西日本支配の拠点として大坂城を再建した。
姫路城、熊本城とともに日本三名城の一つに数えられている。
千早城跡(日本100名城)の写真 名称:千早城
城郭構造:連郭式山城
天守構造:なし
築城主:楠木正成
築造年:1332年(元弘2年)
遺構:曲輪、空堀
指定文化財:国の史跡
所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
アクセス:南海高野線・近鉄長野線河内長野駅
     から南海バス金剛山ロープウェイ前
     行きで35分「金剛登山口」下車徒歩
     約20分
千早城跡 本丸跡 城跡への石段 城跡からの風景
千早城(日本100名城55)
 鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を
誇ったと言われる連郭式山城。
楠木正成は本城である上赤坂城を鎌倉幕府軍に奪われていた。1332年(元弘2年)正成は赤坂城の詰めの城として千早城をその背後の山上に築いた。南北朝時代末年となる1392年(明徳3年)正成の孫、正勝は北朝方の畠山基国に攻められ千早城は落城し、61年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
現在、城跡は千早神社となっており、社務所が三の丸、神社が二の丸さらにその奥が本丸跡と
なっていて、曲輪・空堀の跡が認められる。
岸和田城の写真 名称:岸和田城(別名千亀利城)
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:複合式層塔型5重5階
築城主:和田高家
築造年:1334年〜36年(建武年間)
遺構:石垣、堀
指定文化財:大阪府史跡
所在地:大阪府岸和田市岸城町9-1
アクセス:南海電気鉄道南海本線蛸地蔵駅
     から徒歩10分
本丸への城門 天守と小天守 隅櫓 八陣の庭
岸和田城
 岸和田城[別名千亀利(ちきり)城]の歴史は、南北朝期にさかのぼるが近世城郭として本格的に整備したのは天正15年(1587)豊臣秀吉の外戚である小出秀政で慶長2年(1597)五層の天守閣が完成した。
現在の城は昭和29年(1954)再建されたものである。
岸和田といえば豪壮な「だんじり」を思い出される方も多いと思うが岸和田城の堀を隔てた東側には「だんじり」が宮入りする岸城神社がある。
県庁所在地:神戸市中央区下山手通5-10-1
面積:8,395平方q 人口:5,599千人(H17年)
県花:ノジギク 県木:クスノキ
姫路城(日本100名城)の写真 名称:姫路城(白鷺城)
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:連立望楼型5重6階地下1階
築城主:赤松貞範
築造年:1346年(南朝:正平元年)
遺構:現存天守,櫓,門,塀,石垣,堀,土塁,庭園
指定文化財:国宝(大小天守、渡り櫓)、国の
      重要文化財(櫓,渡り櫓,門,塀
      など)、国の特別史跡、世界遺産
所在地:兵庫県姫路市本町68
アクセス:JR姫路駅から徒歩20分
世界遺産姫路城の碑 姫路城と白壁 菱の門 掘と大手門
姫路城(日本100名城59)
 日本一の名城の呼び声が高い姫路城は、松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)とともにわずか4つしかない国宝城の一つである。城壁の美しさから白鷺城の別名を持つ。
建物の容積と配置のバランスが絶妙であること漆喰の城壁をもち優れた美を持っていること、明治以前の封建制度の象徴であることなどが、優れているとして、平成5年(1993)世界文化遺産に登録された。
竹田城跡(日本100名城)の写真 名称:竹田城
城郭構造:梯郭式山城
天守構造:不明
築城主:山名宗全
築造年:1431年(永享3年)
遺構:石垣、堀、井戸
指定文化財:国の指定史跡
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山
    169
アクセス:JR播但線竹田駅から徒歩約60分
南千畳から見る本丸跡 本丸跡の石垣 本丸跡から見る南千畳 本丸跡から見る竹田市街
竹田城(日本100名城56)
 竹田城は、但馬守護大名山名宗全によって築かれた。築城は1431年(永享3年)で、完成は1441年(嘉吉元年)〜1443年(嘉吉3年)であるといわれている。
羽柴秀吉の1569年(永禄12年)と1577年(天正5年)の但馬征伐により竹田城は落城。その後、羽柴秀長や桑山重晴などが城主、城代になるも1600年(慶長5年)に廃城となる。
現存する山城では最大級の規模を誇っている。また、この城は山頂にあり天空の城ともいわれ、日本のマチュピチュと云われることもある。
篠山城跡(日本100名城)の写真 名称:篠山城
城郭構造:輪郭式平山城
天守構造:建設されず
築城主:徳川家康
築造年:1609年(慶長14年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:大書院
所在地:兵庫県篠山市北新町2-3
アクセス:JR福知山線「篠山口」駅から神姫
     バス「篠山営業所行き」で「二階町」
     下車徒歩10分
大書院 土塁 外堀 次の間
篠山城(日本100名城57)
 篠山城は、1609年(慶長14年)徳川家康が大阪城の豊臣氏のそなえて、大阪や京都から山陽や山陰へ通じる交通の要所に築城した。天下普請により築城工事は進められ、総奉行は池田輝政、縄張りは築城の名手藤堂高虎であった
明石城(日本100名城)の写真 名称:明石城
城郭構造:連郭梯郭混合式平山城
天守構造:なし
築城主:小笠原忠真
築造年:1618年(元和元年)
遺構:櫓、石垣、堀、移築門
指定文化財:国の重要文化財(巽櫓と坤櫓)
再建造物:塀
所在地:兵庫県3
アクセス:JR山陽本線「明石」駅より徒歩5分
大手口枡形門石垣 巽(たつみ)櫓 坤(さるひつじ)櫓 大手口の外堀
明石城(日本100名城58)
 明石城は大坂の陣で戦功をあげ、10万石を与えられた徳川譜代の家臣である小笠原忠真(ただざね)が、1619年(元和5年)2代将軍秀忠から、西国諸大名への備えとして、築城を命じられ1年で完成させた城である。
現在は、坤櫓、巽櫓の二つの櫓と、本丸、二の丸、三の丸の石垣が残っている。本丸には天守台も残っているが、実際に天守が建てられたことはなく、坤櫓が天守の代用として使われていたと言われている。
赤穂城(日本100名城)の写真 名称:赤穂城
城郭構造:変形輪郭式平城
天守構造:建造されず
築城主:浅野長直
築造年:1661年(寛文元年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:国の史跡、名勝(庭園)
再建造物:櫓、門、庭園
所在地:兵庫県赤穂市上仮屋
アクセス:JR赤穂線「播州赤穂」駅より徒歩15分
復元された大手門 天守台 天守台から見る大地泉 大石良雄宅跡長屋門
赤穂城(日本100名城60)
 赤穂城は、浅野内匠頭長矩の祖父長直が、常陸国笠間から入封し、13年の歳月を費やして築いた城であり、その構造は、近世城郭史上、非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城である。また同敷地内にある大石内蔵助をはじめ、四十七士らを祀った大石神社、国指定史跡の大石邸長屋門、庭園、義士ゆかりの武具・書画を展示した義士宝物殿なども興味深い。
県庁所在地:奈良市登大路町30番地
面積:3,691平方q 人口:1,400千人(H17年)
県花:奈良八重桜 県木:スギ
高取城跡(日本100名城)の写真 名称:高取城
城郭構造:連郭式山城
天守構造:連立式3重3階地下1階(非現存)
築城主:越智邦澄
築造年:1332年(元弘2年)
遺構:石垣、堀、井戸
指定文化財:国の史跡
所在地:奈良県高市郡高取町高取
アクセス:近鉄吉野線駅、壺阪山駅から奈良
     交通バス壺坂寺行きで壺坂寺前
     下車、徒歩約40分
大手門跡 本丸の高石垣 本丸跡 城跡からの風景
高取城(日本100名城61)
 高取城は、吉野山系の標高584メートルの急峻な山頂に築かれた山城である。
山城としては、日本一の広さを誇り、備中松山城、美濃岩村城とともに日本三大山城といわれている。
郡山城の写真 名称:郡山城
城郭構造:輪郭式平山城
天守構造:
築城主:筒井順慶
築造年:1580年(天正8年)
遺構:石垣、堀
指定文化財:奈良県指定史跡
所在地:奈良県大和郡山市城内町
アクセス:近鉄橿原駅、郡山駅から徒歩15分
追手門(梅林門) 石垣と堀 追手門向櫓 東隅櫓の鯱
郡山城
 筒井順慶が築城し、その後、豊臣政権時代に秀吉の弟豊臣秀長が、大和、紀伊、和泉100万石を支配する本拠地として、郡山城に入城した。秀長が郡山城を100万石に相応しい大規模なものに拡張し、城下町として整備した。
県庁所在地:和歌山市小松原通1-1
面積:4,726平方q 人口:1,005千人(H17年)
県花:うめ 県木:うばめがし
和歌山城(日本100名城)の写真 名称:和歌山城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:連立式層塔型3重3階
築城主:豊臣秀長
築造年:1585年(天正13年)
遺構:門、塀、庭園、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(岡口門、塀)、国
      の史跡、国の名勝(西の丸庭園)、
      和歌山市文化財(追廻門)
所在地:和歌山県和歌山市一番丁
アクセス:南海本線和歌山市駅から徒歩10分
大手門 紅葉渓庭園と鳶魚閣 七福神の庭 岡田口門
和歌山城(日本100名城62)
 天正13年(1585)紀伊を征圧した豊臣秀吉は、弟秀長に和歌山の地を与え築城させた。
秀長は大和郡山に居城したため、桑山重晴が城代となった。
元和5年(1620)徳川頼宣が55万5千石で入封して、徳川御三家の紀州家が誕生する。紀州徳川家は明治まで14代続く。ちなみに、8代将軍徳川吉宗は5代和歌山城主である。
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