歴史探訪 日本の城
トップタイトル/歴史探訪・日本の城
弘前城の説明と写真
根城の説明と写真
盛岡城の説明と写真
多賀城の説明と写真
仙台城の説明と写真
久保田城の説明と写真
山形城の説明と写真
二本松城の説明と写真
会津若松城の説明と写真
白河小峰城の説明と写真
サブタイトル/東北地方の城
青森県 県庁所在地:青森市長島1-1-1
面積:9,644平方q 人口:1,382千人(H17年)
県花:りんごの花 県木:ヒバ
名称:弘前城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:独立式層塔型3層3階(現存)
築城主:津軽為信・信枚
築造年:1611年
遺構:現存天守、櫓、門、石垣、土塁、堀
指定文化財:国の重要文化財
所在地:青森県弘前市大字下白銀町
アクセス:JR弘前駅より弘南バスで15分
     「市役所前公園入口」徒歩1分
下乗橋から見た天守閣 南大門 丑寅櫓(うしとらやぐら) 内堀にかかる鷹丘橋
弘前城(日本100名城4)
弘前城は、1611年(慶長16年)に二代藩主津軽信枚(のぶひら)によって築かれた城である。
本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭によりなり三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。関東以北では、唯一の現存天守閣のある城郭として知られている。
また、弘前城は、江戸時代、弘前藩津軽氏4万7千石の居城として津軽地方の政治、経済の中心となり、1871年(明治4年)の廃藩置県に至るまで260年間その使命を果たしたといえる。
城内には、桜の木が多く、花の季節には桜まつりが開かれ地元の人たちだけでなく全国各地からの観光客でにぎわう。
名称:根城
城郭構造:連郭式平山城
築城主:南部師行
築造年:1334年(建武元年)
遺構:土塁、堀、井戸
指定文化財:国の史跡
再建造物:主殿、中馬屋、工房、鍛冶工房、納屋、東門
所在地:青森県八戸市根城字根城47
アクセス:JR東北本線「八戸」駅から南部バス「司法センター経由」で約15分「博物館前」下車、徒歩約5分で本丸
根城(日本100名城5)>
根城築城は、1334年(建武元年)南部師行(なんぶもろゆき)によって築かれたのが始めと伝えられている。
南北時代の南部氏は東北地方における南朝の中心的存在の1人であったとされ根城は南部氏の東北の拠点として大きな意味合いを持っていた。戦国時代になると三戸南部氏に従属するようになり豊臣秀吉による奥州仕置きでは独立が認められず完全に三戸南部氏の支配下に組み込まれることになる。1627年(寛永4年)八戸南部氏22代直秀は遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となった。 根城は、本丸を中心に中館、東善寺、岡前舘、沢里館の5つ郭から構成される連郭式の平山城で現在でも郭の形状や空掘、土塁などの遺構が残り、本丸では主殿や中馬屋、東門などの建物が復元されている。根城は昭和16年に国の史跡に指定された。
岩手県 県庁所在地:盛岡市内丸10-1
面積:15,278平方q 人口:1,340千人(H17年)
県花:キリ 県木:ナンブアカマツ
盛岡城[通称:不来方城]
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:独立式層塔型3重3階
築城主:南部信直
築造年:1598年(慶長3年)
遺構:石垣、土塁、堀、移築土蔵、門
指定文化財:国の史跡
所在地:岩手県盛岡市内丸
アクセス:JR東北本線「盛岡」駅から盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りで約10分「岩手公園」下車、徒歩すぐ。
本丸へ続く石垣 本丸(左)と二の丸(右)
の間にかかる橋
桜山神社と烏帽子岩 盛岡城跡公園入口
盛岡城(日本100名城6)
盛岡城は鶴ヶ城(福島県会津若松市)、小峰城(福島県白河市)と並び東北三名城といわれていると聞く。特に土塁が多用された東北の城の中では異例ともいえる花崗岩を積み上げた高い石垣を誇り、近世城郭の威容を誇っている。
盛岡城は本丸を中心に北側に二の丸、三の丸と配し、東側に淡路丸、南側に腰曲輪、西側に榊山曲輪で取り囲み、北上川と中津川を天然の要害としているといわれ、主な施設としては本丸の天守台に三階櫓が築かれ、百足橋や三重の廊下橋などがあったとされ、規模はさほど大きくはないが様々な工夫があったと推測されている。
明治維新後、盛岡城は廃城となり様々な建物が取り壊し、あるいは移築され、城内の施設はなくなったが、元々あった土蔵が再び城内に移築されている。現在の盛岡城は本丸、2の丸を中心に石垣や水堀の一部など保存状態も良く国の史跡に指定されている。
宮城県 県庁所在地:仙台市青葉区本町3-8-1
面積:7,285平方q 人口:2,340千人(H17年)
県花:ミヤギノハギ 県木:ケヤ
多賀城跡碑の写真 名称:多賀城
城郭構造:平山城(城柵)
天守構造:不明
築城主:大野東人
築造年:724年(神亀元年)
指定文化財:国指定特別史跡
所在地:宮城県多賀城市市川字城前
アクセス:JR東北本線「国府多賀城」駅から徒歩約10分
政庁跡 多賀城碑と覆屋 政庁跡の土塁 政庁の模型
多賀城(日本100名城7)
8世紀前半に蝦夷征伐の拠点として畿内の大和政権が築いた城郭であり、行政の中枢でもあった。本来は鎮守府の役割を担う施設だが、陸奥国府にもなっていた。いくつかの戦乱や天災(地震)による焼亡を経て10世紀まで機能したが、前九年の役・後三年の役の時には戦場となり、その後は衰退した。奥州藤原氏の擡頭とともに政治的機能が失われたのではないか。
仙台城二の丸脇櫓の写真 名称:仙台城[通称:青葉城、五城楼]
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:なし
築城主:伊達政宗
築造年:1601年(慶長6年)
遺構:石垣、土塁、堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:脇櫓
所在地:宮城県仙台市青葉区川内
アクセス:JR東北本線「仙台」駅下車。西口バスプール9番より仙台バス(仙台城方面行)で約25分「仙台城跡南」下車、徒歩約5分
本丸石垣 本丸石垣 本丸 伊達正宗像
仙台城(日本100名城8)
仙台城は伊達氏が藩主を務める仙台藩62万石の居城である。現在の城は慶長年間に伊達政宗が築造したものであり、仙台藩の政庁であった。現在、国の史跡に指定されている。
政宗は関が原の合戦後、岩出山城から仙台城へ居城を移すことになり、1601年(慶長6年)より築城が始まった。伊達政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、幕府への遠慮からか天守台はあるが天守は持たなかった。
秋田県 県庁所在地:秋田県山王4-1-1
面積:11,636平方q 人口:1,097千人(H17年)
県花:ふきのとう 県木:秋田杉
久保田城(日本100名城)の写真 名称:久保田城
城郭構造:平山城
天守構造:なし
築城主:佐竹義宣
築造年:1604年(慶長9年)
遺構:土塁、堀、門、番所
指定文化財:秋田市文化財(御物頭御番所)
所在地:秋田県秋田市千秋公園1-39
アクセス:JR奥羽本線、秋田新幹線秋田駅
     より徒歩10分
久保田城一の門 御物頭御番所 歴代藩主を祀る
八幡秋田神社
佐竹義光公の銅像
久保田城(日本100名城9)
久保田城は佐竹氏28万5千石の居城であり平山城である。久保田城の特徴は石垣がほとんどなく土塁をめぐらした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことなどが挙げられる。
現在、久保田城跡は千秋公園として整備され市民の憩いの場となっており桜の名所としてもよく知られているところである。
山形県 県庁所在地:山形市松波2-8-1
面積:9,323平方q 人口:1,179千人(H17年)
県花:べにばな 県木:さくらんぼ
名称:山形城[通称:霞城、霞ヶ城、吉字城]
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:御三階櫓
築城主:斯波兼頼
築造年:1365年(南朝:正平11年)
遺構:石垣、堀、移築門、移築御殿
指定文化財:国の史跡
再建造物:二の丸東大手門、大手橋
所在地:山形県山形市霞城町3
アクセス:JR奥羽本線「山形」下車西口から南門まで徒歩約8分
二の丸東大手門の高麗門 二の丸東大手門 本丸石垣と一文字門大手橋 南追手門
山形城(日本100名城10)
山形城は1356年(延文元年)斯波兼頼(しばかねより)により、創建されたと伝えられている。
現在の山形城跡は、1592〜1595年(文禄1〜4年)最上義光(もがみよしあき)により拡張され、鳥居忠政の時代に、ほぼ現在の形に整えられた。
昭和61年5月、二ノ丸堀から内側の地域が、近世初期の面影をとどめている全国有数規模の近世城郭として国の史跡に指定された。 山形城の石垣は、市街地を流れる馬見ヶ崎(まみがさき)川の玉石(安山岩)を用い、割肌を表面に見せる野石積みで日本でも類を見ない優美で堅固な石垣である。
二ノ丸東大手門は山形城の正門である。 枡形(ますがた)の南北両側に多門櫓を持つ独特な形式の枡形門で、江戸城の諸門に匹敵する規模をもつ
福島県 県庁所在地:福島市杉妻町2-16
面積:13,782平方q 人口:2,042千人(H17年)
県花:ネモトシャクナゲ 県木:ケヤキ
二本松城の写真 名称:二本松城[通称:霞ヶ城、白旗城]
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明
築城主:畠山満泰
築造年:室町時代中期
遺構:天守台、石垣、堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:箕輪門、附櫓
所在地:福島県二本松市郭内3丁目
アクセス:JR東北本線「二本松」駅から徒歩約20分で内城入口、入口から本丸まで徒歩約15分
箕輪門と二階櫓 箕輪門 天守台 洗心亭
二本松城(日本100名城11 )
二本松城は、室町時代中期に奥州探題を命じられた畠山氏が築城、居城としていた。1585年、伊達政宗の父・輝宗が畠山義継に拉致され、刺し違えて死んだとされ、激怒した政宗は二本松城を攻め取った。その後は蒲生、加藤、丹羽とと城主が変わり、明治を迎える。明治維新の戊辰戦争では10代の少年隊士63名が立て篭もり、政府軍と戦って散った悲劇の戦場となる。
会津若松城の写真 名称:会津若松城(鶴ヶ城)
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:層塔型5重5階(1965年再建)
築城主:蘆名直盛
築造年:1384年
遺構:石垣、土塁、堀、
指定文化財:国の史跡
所在地:福島県会津若松市追手町1-1
アクセス:JR会津若松駅より路線バス鶴ヶ
     城・飯盛山行に乗車し[鶴ヶ城北
     口]で下車
赤瓦の天守閣 鉄門 水掘 茶室 麟閣
会津若松城(鶴ヶ城)(日本100名城12)
会津は戦国時代、葦名、伊達、蒲生、上杉、保科、松平など数多くの大名が治めた歴史がある。また幕末の戊辰戦争では旧幕府軍として最後まで抵抗したため会津が激しい戦場となった。
「白虎隊」はこの戊辰戦争の時のエピソードである。
白河小峰城の御前門と三重櫓の写真 名称:白河小峰城[通称:白河城、小峰城]
城郭構造:梯郭式平山城>
天守構造:三重櫓(複合式望楼型3重3階)<br>
築城主:結城親朝
築造年:1340年(南朝:興国元年)
遺構:石垣、土塁、堀
指定文化財:国の史跡
再建造物:三重櫓、太鼓櫓、門
所在地:福島県白河市郭内
アクセス:JR東北本線「白河」駅徒歩約10分
清水門 本丸石垣 水掘 白河小峰城跡
白河小峰城(日本100名城13)
小峰城は南北朝時代、結城親朝が1340年(興国元年)に小峰ヶ岡に城をかまえて小峰城と名づけたのがはじめといわれている。
1627年(寛永4年)丹羽長重が10万石の城主として棚倉より移封され、幕命により同6年に城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして同9年に完成。江戸時代における攻防をかねた代表的な梯郭式の平山城である。
その後丹羽、榊原、本田、奥州松平、結城松平、久松松平、阿部と七家21代の城主の交代があったが1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。慶応4年5月戊辰の役の攻防で落城する。
2011年12月29日に登城したが同年3月11日に発生した東日本大震災で石垣等が大きな被害を受けたので城内に入ることはできず堀を隔てた外部からの見学のみとなった。
Copyright(C)thankyou3.com/2010年 歴史探訪・日本の城 All Rights Reserved