歴史探訪 日本の城
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県庁所在地:徳島市万代町1-1
面積:4,146平方q 人口:789千人(H17年)
県花:すだちの花 県木:やまもも
復元された徳島城鷲の門 名称:徳島城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明
築城主:蜂須賀家政
築造年:1585年(天正13年)
遺構:石垣、堀、庭園
指定文化財:国の史跡
所在地:徳島市徳島町城内1番ほか
アクセス:JR徳島駅から徒歩約15分
本丸跡 徳島城三の丸の石垣 下乗橋と大手門跡 数寄屋橋
徳島城 (日本100名城 76)
徳島城は、1585(天正13)年四国平定で戦功のあった蜂須賀家政が父正勝とともに築城した。以来、明治の廃藩置県まで14代280年にわたって蜂須賀家が支配した。現在<2010(平成22)年>は、江戸時代に造られた庭園と平成元年に復元された鷲の門以外めぼしいものは何もない。本丸跡からの眺望は素晴らしく徳島市街や眉山が一望できる。
県庁所在地:高松市番町4-1-10
面積:1,876平方q 人口:1,000人千(H17年)
県花:オリーブ 県木:オリーブ
高松城の月見櫓と水門 名称:高松城
城郭構造:輪郭式平城
天守構造:独立式層塔型3重4階地下1階
築城主:生駒親正
築造年:1590年(天正18年)
遺構:櫓,門,渡り櫓,石垣,堀
指定文化財:国の重要文化財(北の丸月見櫓、水手御門、旧東の丸艮櫓)、国の史跡
所在地:香川県玉藻町2-1
アクセス:JR高松駅から徒歩3分
艮(うしとら)櫓と内堀 桜御門跡 三の丸と内堀 披雲閣
高松城 (日本100名城 77)
高松城は、1590(天正18)年、讃岐に入封した豊臣秀吉の家臣・生駒親正によって築城されて以来、生駒家4代54年、松平家11代228年の歴代藩主の居城であった。
また、この高松城は、大分県の中津城、愛媛県の今治城とともに日本三大海城と呼ばれている。
丸亀城の天守閣(国の重要文化財) 名称:丸亀城
城郭構造:輪郭式平山城
天守構造:複合式層塔型3重3階
築城主:生駒親正
築城年:1597(慶長2年)年
遺構:現存天守、門、長屋、番町、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(現存天守、
      大手一の門、大手二の門)
所在地:香川県丸亀市一番丁
アクセス:JR予讃線「丸亀」駅から徒歩10分で
     登り口、登り口徒歩10分
大手枡形門 堀と石垣と天守 御殿表門と天守 御殿へ続く白壁の道
丸亀城 (日本100名城 78)
香川県丸亀市に中心部にある平山城。全国に現存する木造天守12城の中で最も小さい天守を持つ城としてよく知られている。ただし、石垣の高さ60メートルは日本一である。
築城は1597年(慶長2年)豊臣政権下で生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城として入封。高松城の支城として亀山に築いたのが丸亀城である。しかし、1615年(元和元年)一国一城令が出されたため丸亀城は廃城となった。その後入封した山崎家治が1641年(寛永18年)から再建に取り掛かったが世継ぎがなく改易。その後に入った京極高和が城を完成させ、明治時代まで居城とした。
県庁所在地:松山市一番町4-4-2
面積:5,678平方q 人口:1,437千人(H17年)
県花:みかんの花 県木:まつ
大洲城天守閣 名称:大洲城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:複合連結式層塔型(非現存)
     2004年木造復元
築城主:宇都宮豊房
築城年:1331年(元徳3年)
遺構:櫓、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(台所櫓、南隅櫓
      高欄櫓、苧綿櫓) 愛媛県史跡
アクセス:JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩
     10分 
大天守と小天守 本丸の高石垣と白壁 本丸の高石垣 本丸の内部
大洲城(日本100名城 82)
大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ケ岳城に始まる地いわれています。その後、大洲城は戦国時代を経て、近世初頭に大洲の地を治めた小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰らの各大名により造営、改築されました。
明治維新以後、幕藩体制が崩壊し、1888年(明治21年)天守も取り壊されましたが、4層4階の天守は、明治期の古写真や天守雛型と呼ばれる江戸期の木組み模型などの豊富な資料をもとに、2004年(平成16年)に取り壊される前の形に木造で復元されました。
宇和島城天守閣 名称:宇和島城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:複合式望楼型3重3階(非現存)
     独立式層塔型3重3階(1666年再築
     現存)
築城主:橘遠保
築城年:941年(天慶4年)
遺構:現存天守、門、石垣、
指定文化財:国の重要文化財(天守)
アクセス:JR予讃線「宇和島」駅から徒歩15分
     で登り口、登り口徒歩20分
藩家老桑折氏武家長屋門 一之御門跡 本丸の高石垣 本丸の内部
宇和島城(日本100名城 83)
現在の地に初めて天守が建造されたのは、1601年(慶長6年)藤堂高虎が築城した時といわれています。
高虎が、今治に転封となって後、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和島郡10万石を賜り、1615年(元和元年)に入城、2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、1671年(寛文11年)に完成。その当時の姿を今に残しています。
今治城天守閣 名称:今治城
城郭構造:輪郭式平城(海城)
天守構造:望楼型5重6階(模擬天守)
築城主:藤堂高虎
築造年:1602年(慶長7年)
遺構:石垣,堀
所在地:愛媛県今治市通町3-1-3
アクセス:JR予讃線今治駅より瀬戸内バスで
     約10分「今治城前」下車徒歩3分
御金櫓 鉄御門 武具櫓と多門櫓 天守からの風景
今治城(日本100名城79)
藤堂高虎は、1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦に東軍徳川家康方の先方として戦功をたて伊予半国20万3千石を与えられた。当時諸大名中随一の築城の権威であった高虎は内海において海陸の要衝である今治を城地と定め、慶長7年より9年をかけ5層6階の天守を有する城を造り、三重の城濠をめぐらせ、その堀に海水を引くなど、当時としては他に例を見ない一大平城を完成させた。
現在の天守は1980年(昭和55年)今治市制60周年を記念して再建されたものである。天守閣最上階にある展望台からは本四架橋の来島海峡大橋を望むことができる。
湯築城跡の写真 名称:湯築城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:なし
築城主:河野氏
築造年:14世紀前半)
遺構:土塁,堀
指定文化財:国の史跡
所在地:愛媛県松山市道後公園
アクセス:伊予鉄道市内線道後公園駅から徒歩
     1分
湯築城跡の遠景 外堀 復元された武家屋敷 天守跡からの景色
湯築城(日本100名城80)
湯築城は、14世紀前半河野氏によって築城された。現在は国の史跡となっていて外堀、土塁などがほぼ昔のままの状態で残されている。
豊臣政権下では小早川隆景や福島正則の居城となった時もあった。
川之江城天守閣 名称:川之江城
城郭構造:山城
天守構造:なし
築城主:土肥義昌
築造年:1337年(延元3年)
遺構:石垣
指定文化財:なし
最建造物:模擬天守、櫓
所在地:愛媛県四国中央市川之江町大門
アクセス:JR予讃線川之江駅から徒歩15分
櫓門(模擬)外側 櫓門内側 控堀 石垣(遺構)
川之江城
1337年(延元2年)南北朝動乱期、南朝方河野通政の砦として築城された。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の四国平定のおり小早川隆景の攻められ落城した。
松山城天守閣 名称:松山城
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:連立式層塔型3重3階地下1階
築城主:加藤嘉明
築造年:1602年(慶長7年)
遺構:天守,櫓,門,塀,井戸,石垣,土塁,堀
指定文化財:国の重要文化財(大天守,乾櫓等)
所在地:愛媛県松山市丸ノ内
アクセス:伊予鉄道市内線大街道駅から徒歩
     5分
乾門 一の門 南隅櫓 乾櫓
松山城 (日本100名城 81)
松山城の創設者は羽柴秀吉の家臣で賤ケ岳の合戦における七本槍の一人として名高い加藤嘉明である。しかし嘉明は松山にあること25年、寛永4年(1627)会津へ転封。
その後へ蒲生氏、続いて桑名城主であった松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来14代世襲して明治維新を迎える。
県庁所在地:高知市丸ノ内1-2-20
面積:7,105平方q 人口:767千人(H17年)
県花:やまもも 県木:ヤナセスギ
高知城天守閣 名称:高知城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:独立式望楼型4重6階
築城主:山内豊一
築造年:1603年(慶長8年)
遺構:現存天守、御殿、櫓、門、石垣、堀
指定文化財:国の重要文化財(天守等)、国の      史跡
所在地:高知県高知市丸ノ内1-2-1
アクセス:JR四国高知駅から徒歩25分
追手門 本丸黒鉄門 三の丸 本丸正殿内部
高知城(日本100名城 84)
現在の城郭は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績が認められて土佐の初代藩主になった山内一豊によって、慶長6年から築城が開始され、2年後に主要部分が完成したが、全体の完成には10年の歳月がかけられた。
享保12年(1727)追手門など一部を残して焼失したが宝暦3年(1753)元の姿に再建された。
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