歴史探訪 日本の城
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根室チャシ跡群の説明
五稜郭の説明と写真
松前城の説明と写真
サブタイトル/北海道地方の城
北海道 道庁所在地:札幌市中央区北三条西6丁目
面積:78,420平方q 人口:5,517千人(H17年)
県花:ハマナス 県木:エゾマツ
名称:根室半島チャシ跡群
城地種類:山城
指定文化財:国指定史跡
所在地:北海道根室市温根元59、60、60地先他
アクセス:オンネモトシャチは、JR根室本線根室駅から根室交通バス「納沙布線」で約35分「納沙布岬」下車温根元漁港方面に徒歩約20分
オンネモトチャシの遠景 チャシ碑 チャし関する説明板 国の史跡指定の名板
根室半島チャシ跡群(日本100名城1)
根室半島には一帯にわたり、チャシ跡が存在する。そのほとんどは海抜約5mから50mの海岸断崖上の台地の平坦部にあり、海岸台地上に半円形又は四角形の壕を巡らせています。
根室市内には30ヵ所のチャシ跡の存在が確認されていますが、保存状態が良好で、他地域と比較すると分布密度も濃いことで知られています。
チャシは一般的には「砦」と考えられているが、見張場や聖地、談判の場としても活用されていたと思われる。[注]チャシとは砦や柵による囲いを意味するアイヌ語である。
名称:五稜郭
城郭構造:稜堡式
天守構造:なし
築城主:江戸幕府
築造年:1866年
遺構:土塁、石垣、堀
指定文化財:特別史跡
所在地:北海道函館市五稜郭町
アクセス:函館市電五稜郭公園前 徒歩20分
一の橋と五稜郭碑 二の橋 二の橋から見た半月堡 復元された奉行所
五稜郭(ごりょうかく)(日本100名城2)
五稜郭は日本では珍しい洋式城郭である。1853年(嘉永6年)ペリー提督率いるアメリカ艦隊(黒船)が来航し,翌年1854年(安政元年)徳川幕府はアメリカと日米和親条約を結び、下田と箱館[この名前は1869年(明治2年)から函館という文字になった]の2つの港の開港を決定。開港に伴い,幕府は直接蝦夷地(明治2年に北海道と変わるまでこの呼び名となっていた)を治めて開拓し,また外国との応対をするために箱館奉行を置いて、函館山の麓に奉行所(役所)を開くこととなった。これが平面が星形の平城である五稜郭である。1868年(明治元年)8月、戊辰戦争(ぼしんせんそう)最後の戦いとなる箱館戦争で榎本武揚らが五稜郭にたてこもり、維新政府と交戦したことでもよく知られている。1872年(明治5年)廃城。堀・石垣・土塁が残る。
名称:松前城[通称:福山城]五稜郭
城郭構造:平山城
天守構造:独立式層塔型3重3階(非現存)
築城主:松前崇広
築造年:1606年(慶長11年)
遺構:本丸御門、御殿玄関、石垣、土塁、堀
指定文化財:国の重要文化財、国の史跡
再建造物:天守
所在地:北海道松前郡松前町字松城144
アクセス:R松前線「木古内」駅から函館バス
「松前行」で約90分「松城」下車、徒歩約10分
松前城の石版 松前城天守閣と内堀 搦め手二の門 武家屋敷の門
松前城(日本100名城3)
松前城の前身は江戸初期の福山館で、江戸幕府はロシアの南下に備え、蝦夷地防衛の為に松前崇廣に松前城築城を命じた。城は本丸、二ノ丸、三ノ丸で構成されていた。1854年(安政元年)に竣工した天守は3層櫓で、他にも3棟の二重櫓も造られた。また三ノ丸には七門の砲台が並んでいた。1868年(明治元年)戊辰戦争で榎本武揚ら旧幕府軍に攻められ落城、同6年廃城になった。天守、本丸御門、本丸御殿は破却を免れ、国の指定史跡となったが、天守などは昭和24年に焼失し、その後再建されたものである。
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