サブタイトル 九州・沖縄のアルバム
福岡県
かって貿易港として繁栄した門司港は、多くの歴史的建造物が残り、門司港駅などの、懐かしい風景と関門海峡を望む雄大な景色が楽しめるスポットです。今回の旅は昼間だったが、ライトアップされた夜の水辺は、きらめく幻想空間といわるナイトビューも一度見てみたい。                                     2010.7.24 UP
国際友好記念図書館
後方は門司港レトロ
展望室がある建物
国際友好記念図書館 旧門司三井倶楽部 旧大阪商船 旧門司税関
レトロ展望室から見た
レトロ地区風景
展望室からの風景 関門橋 恋人の聖地に認定の
はね橋1日に6回開閉
食事を楽しむことが
できるクルーズ船
レトロ地区の玄関口
門司港駅
駅構内の電話ボックス キップ売り場 待合室 昔駅でよく見かけた
洗面台のある手洗所
開業5周年を迎えた九州鉄道記念館を見学しました。その時の写真を展示します。2009.1.7(平成21年)
九州鉄道記念館 展示物コーナー 59436号機
製造年:大正11年
C59 1号機
製造年:昭和16年
C59 1号機動輪部分
EF10 35号機
製造年:昭和16年
ED72 1号機
製造年:昭和36年
キハ07 41号機
製造年:昭和12年
クハ481 603号機
製造年:昭和44年
クハネ581 8号機
製造年:昭和42年
昔の停車場風景 つばめヘッドマーク さくらヘッドマーク 写真のパノラマをつなぐと九州全県を
表現する巨大ジオラマになる。
肥薩線ループ線 運転シュミレーション シュミレーション画面 ミニ鉄道の線路 ミニ鉄道の列車
883系ソニック型車両
佐賀県

紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。
弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代600年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。

吉野ヶ里歴史公園 遺跡への入口 遺跡入口からの王宮 敵を防ぐ逆茂木と乱杭 敵を防ぐ環濠と柵
柵に囲まれた居住区 濠に囲まれた居住区 集会の館 高床式住居 竪穴住居
竪穴住居の内部 王族の住まい 物見櫓のある居住区 王を中心に 部族長や
支配者の集会風景 神に祈りを捧げる巫女 髪をすく女性 執務中の役人 生活や祭神に使う土器
長崎県
長崎中華街の通路上にたくさんの電照看板がある。面白いので撮影してみた。このほかにもたくさんある。
長崎中華街 中華街電照看板1 中華街電照看板2 中華街電照看板3 中華街電照看板4
熊本県
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)→通称は水前寺公園 約350年前、熊本藩主細川家が造園した桃山式回遊庭園で東海道五十三次の景勝を模したといわれている。園内にある出水神社には細川歴代藩主と細川忠興の妻(ガラシャ夫人)が奉祀されている。(2007年12月)
園内風景 園内風景 園内にある出水神社 神事能を行う能楽堂 熊本のお土産は?
私鉄乗りつぶしの旅の途中、ゴルフ仲間のTさんに、ユニバーサル造船(旧日立造船)タンカー建造現場を案内してもらった。
写真は、全て30万トン級のタンカーで、年に7隻(せき)も建造するそうだ。2枚目の写真をクリックして見てください。人が何人か写っていると思いますが分かりますか。人と比べると船がいかに大きいかわかるでしょう。でもこれは4枚目の写真で分かるように一番後スクリューの部分だけなんです。造船所内のクレーン、ブロック(タンカーはブロックを組み合わせて作られる)を運ぶ運搬車等々すべてが想像絶するほど大きいのには驚いた。(07年12月)
ユニバーサル造船 タンカー建造現場 艤装中のタンカー 出航待つ新造船 タンカーの説明模型
大分県
高等学校の修学旅行で訪れた別府の地獄めぐりは50数年ぶりの再訪問でした。 訪れたのは1月4日でしたが暖かかったせいか多くの人が地獄めぐりを楽しんでいました。私鉄乗りつぶしに挑戦中の管理人は九州地方(沖縄のモノレールは除く)最後となっていたラクテンチケーブルの乗車を目指したのですが、休園とかで運転しておらず、九州地方の完乗は先延ばしになってしまいました。(2009.1.4)
JR別府駅 海地獄 坊主地獄 山地獄 血の池地獄
竜巻地獄 かまど地獄 フラミンゴ 別府市・中国烟台市
友好20周年記念碑
別府タワー
宮崎県
飫肥(おび)の町は、江戸時代に飫肥藩伊東家5万1千石の城下町として栄えた。戦国時代には、伊東氏と島津氏の争いの舞台となったが、豊臣秀吉によって九州が平定された後は、伊東氏の領有するところとなり、以後、明治維新にいたるまでの約280年間を伊東家の城下町として続いた。
現在でも大手門通り、横馬場通り、前鶴通りの道わきには昔ながらの石垣と武家門等が残っている。
飫肥の町は、「九州の小京都」とも呼ばれ、こじんまりとした地方の城下町であるが、古い町並みは端正で閑寂な感じを受け「九州の小京都」の名に恥じない。周囲を取り巻く山々の緑も大変美しい。
mati
飫肥城大手門 小村寿太郎記念碑 小村寿太郎の生家 寿太郎生家の全景 小村家の石垣
豫章館薬医門 藩主伊東家の住まいで
広い屋敷の豫章館
庭から見る豫章館 旧山本猪平家住宅
山本猪平は飫肥の豪商
山本猪平家住宅内部
旧伊東祐正家住宅 今も数多く残っている武家屋敷 おび天・茶屋 鯉の遊泳する水路
鹿児島県
城山周辺は、西南の役で最後の激戦地で場所であり、岩崎谷には西郷隆盛が最後の五日間を過ごしたといわれる西郷洞窟や西郷終焉の地などの史跡が数多く残っている。現在は、鹿児島市内と桜島を一望できる展望台などもできていて観光スポットの一つになっている。
城山 西郷隆盛の銅像 大久保利通の銅像 小松帯刀の像 桜島
照国神社 島津家28代当主島津斉彬を祭神とする神社。鹿児島県下では最も参拝客の多い神社といわれている。1月5日に参拝したが、個人の参拝者だけでなく、会社関係の人たちが団体で参拝に訪れているのが多くみられた。
照国神社の大鳥居 照国神社神殿 神札授与所 縁起もの販売所 照国神社のご由緒
沖縄県